前もうしろも、上も下もまつたくとろり[#「とろり」に傍点]としたやうなうすむらさきの霞が、深々と垂れ籠めてゐましたが、十歳や十一歳の身そらで、だいそれた謀叛(むほん)をたくらんだといふのも一つはたしかに、その霞の誘惑だつたとわたしはいま思ひます。  それからどのくらゐの間、二人してその城跡の山の上の枯草原で密議を凝らしましたか、二人とも非常な昂奮を抱いて山を降りる頃は、日はもうとつぷりと暮れてをりました。汽船はとつくの前に沖合を通り過ぎ、一方の方に突き出てゐる岬の蔭に姿をかくしてゐたのです。  密議の結果はかうです。武ちやんは明日學校で、繁ちやんは郷里の阿母さんが急病で迎ひが來て歸りました、と先生に屆けること。わたしは今夜書置の手紙を書いて、明日の朝それを机の上において、いつも學校にゆくやうな風をして宿を出ること。そして、郷里には歸らず、一直線に細島港に向つて走ること、その他でありました。當時わたしの預けられてゐましたのは評判のやかまし屋の士族の家でありましたので、正直に打ちあけて願つた所で、とても許される筈はない。許されるどころか、拳固の二つ三つは當然覺悟しなくてはならない。書置に詳しく書いておいて、逃げ出すが一番安全の策だといふことに、決つたのです。  事はすべて計畫どほりに運ばれました。延岡から細島港まで六里あります。その間をわたしは殆んど走りづめに走りました。さう急ぐことはないのだが、脚がひとりでに走つてゐるのです。しかも、細島に近づいた所では大膽にも山越の近道をやりました。山に入つて近所に人のゐなくなつたのを知るや否や、わたしは泣きながら走りました。初めはしく/\と泣き、後には大聲をあげて泣きました。何故、泣いたか、わたしにもよく解りません。諸君の御推察にまかせます。  細島港の日高屋は、船問屋に旅館業其他を兼ねた大きな家でありました。わたしのその家に入つたのは初めてゞしたが、わたしの家とは舊(ふる)くからの知合で、この家の人でわたしを知つてゐるのが二三人ありました。で、たいへん都合よく、十一歳の少年は一人前の旅客として、ある一室に通されました。そして、胸を躍らせつゞけに、その日の夕方を待つことになりました。

TOP その1 その2